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2019年年頭あいさつ――マネジメントと馬

投稿日: | 投稿者:生田 明子

このところ、乗馬にはまっている。

馬と人の関係について、歴史をひもとくと、数千年の人と馬の関係において、馬の扱いを制し、移動距離を伸ばし、早く移動できるようになった民族が世界の歴史を塗り替えていたことがわかる。

人が馬にまたがって移動するより、荷車を引かせることが最初であった。そのうち、馬を飼いならす、人の言うことを教える、人の要求した動きをさせるという研究がなされ、人は馬の背中に乗り移動できるようになった。この成果は大きい。移動が容易になったことで、遠くで起きたことが短時間に伝わるようになったのである。

鞍の発明につづき、鐙(あぶみ)が発明される。これはさらに偉大であった。乗ったことのない人には想像もつかないだろうが、鐙なしでは人は馬上で安定した姿勢を保つことがなかなかできない。 この二つの発明により、馬と人の体力が続く限り、遠方まで移動できるようになった。もたらされたのは膨大な物資と情報である。

戦争も変わった。交易の発展により、通貨が生まれ、関税が生まれる。ビールもワインも塩も香辛料も運ばれた。各宗教も布教活動に出かけるようになる。キリスト教はエルサレムで生まれ、馬に乗って欧州へ伝播された。

馬のいいところは肉を食べないところにあった。なにせ葉っぱが主食だ。枯れていても問題ない。先遣隊として騎馬が派遣されるのは移動にあたって、馬自身の食糧を気にしなくていいこととその機動力であった。 軽微な物資と人の食糧を馬の背に積み、移動することにより、いち早く手に入れることのできる情報が価値を持つようになった。

室町時代、まだ牛車が主流であった日本では坂東武者たちが次第に馬を使うようになっていく。 特に源氏の末裔である武田家は馬の機動性に着目する。山梨県から長野県に現存する信玄棒道は、その武田家の情報取得に対する執念の結果である。それはさしずめ現代のインターネット網である。いち早く質のよい情報を取得し、次に備える、このことに信玄は徹底的にこだわった。 武田騎馬軍といえば、長篠の戦が有名であるが、あれは武田家情報戦略の評価からすれば、別次元の話である。京の都から遠いところに根拠地を置く武田家、それも3000m峰に囲まれた閉ざされた地域にいた信玄の情報に対する執着の視点で武田騎馬軍は評価すべきである。田舎には情報が来ないのではなく、馬に乗って情報を取りに行ったのが信玄なのである。

managementは、イタリア語の馬の面倒を見る、馬を調教する、馬を手で扱うとかいうmaneggiareから由来する。人類最初の馬術書がイタリア語で出版されたからだ。馬を重要視したのはサプライチェーンだけではなく、中央の情報を縁部に伝え縁部から情報収集と徴税のためのネットワークだった訳だ。 IT技術を生業とする私たちにとって、マネジメントの共通性と古来情報ネットワークを人類はどう紡ぎ情報コントロールをしたかを馬から学べるのである。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

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